歴 史

安政元年に製蝋精油の生業を営んでいた星隈慶次郎が瀬高下庄で酒造業に着手。

以来瀬高の地で醸造を続けてまいりましたが、更なる向上を目指し、清純な仕込み水を求めて岡垣内浦の地に醸造所を移転しました。

これを機に社名を七曜酒造株式会社と改め、星隈酒造の創業から約160年続く伝統を継承しつつ、令和4年、木綿間山山麓での新たな挑戦が始まりました。

ゆうま

よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山(ゆうまやま)越えにし君が思ほゆらくに
醸造所の背にある湯川山はかつて木綿間山(ゆうまやま)と呼ばれ万葉集にも詠われます。この山にあった牧で生まれ育った漆黒の名馬摺墨(するすみ)は宇治川の戦で活躍しました。
摺墨は戦で傷つきながらも、生まれ育った木綿間山を思い、恋しさの一念で歩き続け、岡垣の地までたどり着いたと言い伝えられています。
古の名馬に思いを馳せ、生酒「ゆうま」を醸しています。
摺墨を思わせる爽やかな疾走感を微発泡の生酒に込めてお届けします。

岡垣町

岡垣町波津の海岸は、秋に北斗七星の柄杓があたかも水を汲んでいるように見える世界でも珍しい場所です。

七曜酒造のシンボルマークにも、北斗七星を象った七曜紋を使用しています。

井戸

内浦の醸造所に隣接する臨済宗大徳寺派 福聚山海蔵寺は1320年頃に創建されました。
そこには孝子助六の碑があります。

海蔵寺敷地内にある鶯乃井の水を使っていた助六の母は102歳まで長生きし、助六自身も96歳まで生きたと言い伝えられています。
この地域が素晴らしい地下水に恵まれた地であることをうかがわせる逸話です。

醸造所敷地内にある妙見乃井戸は手つかずの自然に恵まれた湯川山の裾野にある浅井戸で、低温長期醸造に適した軟水が豊富に湧いています。
七曜酒造はこの妙見乃井戸の水を仕込み水に使用しています。